管理社会
人を壁の中に閉じ込めるのではなく、データとネットワークによって、自由に動かしておきながら絶えず把握しておく社会。
管理社会とは、哲学者ジル・ドゥルーズが短い論考「追伸——管理社会について」で描いた社会の姿である。フーコーの言う規律社会、つまり人を施設の中に囲い込む仕組みがあちこちで立ち行かなくなり、その後に来るものとして構想された。「管理」という語はバロウズから借りたと、ドゥルーズ自身が断っている。
規律社会では、人は家族から学校へ、学校から兵舎へ、兵舎から工場へと移っていった。行く先はどこも壁で仕切られている。ドゥルーズによれば、その仕切りがいま崩れつつある。代わりに現れるのは、人をどこかに閉じ込めるのではなく、絶えず変わるデータや、通行を許す符号によって、その居場所と動きを押さえ続ける仕組みである。
学校では、試験に代わって途切れない評価が入り込む。試験で終わり、というわけではない。学びも卒業では終わらず、生涯続く。規律社会なら、人は場所を移るたびに一から始め直せた。管理社会には、その区切りがない。地続きの評価のなかで、人は何ひとつ終えられない。
閉じ込められていないことは、自由になったことではない。むしろ、壁のない開かれた場所こそが、管理の場になる。ドゥルーズが描いたのは、管理が施設の外へ出て、ネットワークや情報へのつながり、終わらない評価の中へ広がっていく社会だった。この短い論考がいまも読み継がれているのは、壁のない管理という見立てが、その後のデジタル社会を言い当てていたからでもある。ただし、ドゥルーズは管理社会を予言したのではない。恐れることも希望を抱くこともなく、新しい武器を探すべきだ、と書いている。
ジル・ドゥルーズ「管理社会について」