大手術
人から「空想する力」を外科手術で取り除く、国家の最終計画。想像しなくなった人間は、二度と体制を疑わない。
来歴
大手術とは、エヴゲーニイ・ザミャーチンの小説『われら』の終盤で、単一国が全市民に施す処置を指す。目的は病気の治療ではなく、人間から想像力を取り除くことにある。
処置を受けた者は、穏やかで、正確で、迷いがなくなる。疑いも、詩も、夢も生じない。作中では、これが不幸の根絶として告知される。想像する力があるかぎり、人はここではない場所を思い描き、現状に不満を持ってしまう——だからその力の宿る場所そのものを処置する、という論理である。
抑圧の行き着く先が、罰ではなく治療として語られている。大手術という設定が示しているのは、反逆を取り締まるより、反逆が芽生える器官そのものを取り除くほうが確実だという発想であり、そこでは幸福が、何かを失ったあとの静けさとして定義されている。